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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和38年(ラ)20号 決定 1964年3月12日

抗告人 小山幸子(仮名)

右法定代理人親権者父 小山良男(仮名)

同母 小山ユキ(仮名)

主文

原審判を取消す。

本籍佐伯市五二五番地筆頭者小山良男戸籍中弐女幸子の身分事項欄出生事項に「昭和参拾八年六月拾九日受附」とある部分を「昭和弐拾六年八月八日受附」と訂正することを許可する。

理由

一、抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。

二、当裁判所の判断

本件記録によると、佐伯市役所備付の昭和二六年度戸籍受附帳及び同市役所鶴岡支所備付の昭和二六年度戸籍仮受附帳に抗告人(昭和二六年八月二日生)の出生届が昭和二六年八月八日になされた旨の記載はなく、また(戸籍記載後の)届書保存機関である大分地方法務局佐伯支局に届書が現存しないことが明らかである。本件記録編綴の転入証明書(四丁)、佐伯市長作成の配給事務についてと題する回答書(二四丁)、藤本伸子及び田村明子両名の審問の結果(二九丁、三一丁)を総合すると、佐伯市において出産児が主食の配給を受けるには、まず出生届をしたうえ、母子手帳に出生届出済の証明を受け、市役所配給係に右母子手帳と配給通帳とを提出する。配給係においては母子手帳の記載により出生届出済であることを確認して、市役所備付の配給台帳及び配給通帳に必要事項を記入し、同時に転入受附簿に出生により転入した旨登載することが定められているところ、抗告人については、佐伯市役所配給係において配給台帳及び配給通帳、転入受附簿に昭和二六年八月八日付でそれぞれ所定の記入をしたことが認められる。右認定にかかる主食配給に関する事務手続と抗告人が当審において提出した母子手帳(大分県発行・母の氏名小山ユキ、子の氏名小山幸子)には出生届出済証明欄に昭和二六年八月八日に出生届があつたことを証明する旨の記載並びに佐伯市長矢野竜雄の記名及び職印の押捺があり、また配給の記事欄にはまさしく昭和二六年八月八日の項に「出生届」、「配給台帳に記入済」なる記載並びに配給責任者の押印があることを併せ考えると、母子手帳の右記載はいずれも権限ある同市役所吏員により真正に成立したもので、抗告人の出生につき昭和二六年八月八日に届出はあつたが、係員の手違いで、戸籍には勿論、受附帳にも記載されないで放置されていたものと認めざるを得ない。しかして小山良男、小山ユキ及び藤本邦子各審問の結果を綜合すると、右届出のため同市役所鶴岡支所に赴いたのは当時抗告人親子と同居していた小山正男(昭和三五年頃死亡)であることが認められる。

そうすると、抗告人の出生について、出生直後である昭和二六年八月八日に届出があつたにも拘わらず戸籍上その旨の記載がないのは遺漏であつて、小山良男が昭和三八年六月一九日した再出生届に基づく現記載(すなわち、昭和弐拾六年八月弐日佐伯市五百五拾四番地で出生父小山良男届出昭和参拾八年六月拾九日受附同日入籍との記載)中届出年月日は錯誤に帰するわけである。かかる場合戸籍法第一一三条にもとづき、現記載中届出年月日を、事実に即して、昭和二六年八月八日に届出た旨の記載に訂正することが許されるものと解する。従つて、本件抗告は理由があり、原審判は取消を免れない。よつて家事審判法第八条・家事審判規則第一九条第二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岩崎光次 裁判官 野田栄一 裁判官 宮瀬洋一)

別紙

抗告の原因

一、抗告人は、昭和二六年八月二日出生したので、抗告人の父小山良男は昭和二六年八月八日生児の七夜祝いに先立ち同日出生届出でをすることになつていたが、たまたま所用で日中不在となるため、同人の実父小山正男に出生届を依頼した上出かけた。そこで正男は佐伯市役所鶴岡支所に赴き当該届出でを済ませた。

しかるに昭和三八年六月良男の長男(抗告人の兄)明男が就職のため戸籍謄本の交付を受けたところ、抗告人幸子が戸籍に登載されていないことを発見したので、市役所戸籍係員にその善後措置を要望したところ、届出がなかつたから戸籍に記載されていないので直ちに出生届出をせよという事であつた。抗告人の父良男は届出済であることを主張して再三交渉したが抗告人の主張を証すべき明確な証拠資料がなかつたため、やむなく昭和三八年六月一九日改めてその届出をしたのち、届出年月日を最初の届出日たる昭和二六年八月八日に訂正する許可の審判を申立てたが原審判は、昭和二六年八月八日に抗告人の出生届出をしたと信ずるに足る証拠がないとの理由で該申立を却下した。

しかるところ、今般、抗告人の昭和二六年八月八日出生届出をなしたことを証明した佐伯市長発行の母子手帳を発見したのでこの抗告をする次第であります。

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